TSUNAGI///Mで証明していること

今回は、僕がTSUNAGI///Mとしてなぜ開発を継続しているのか、どこに続けるモチベーションがあるのか、何を目指しているのかについて、詳しく書いています。
なぜ今かというと、僕自身が次のステップへ進む為のターニングポイントに差し掛かったことで、過去の僕と次の僕の役割を明確に切り分ける必要があると感じてたからです。
今までの僕に縋り付いていては、次に進めないことが良く分かりました。
この記事は、そんな今の僕を、次に進める為の踏み台にすること。そして、今後、僕と似たような成長の段階に差し掛かった方に、自信を持ってその道を進んで欲しいという僕の願いとして書き留めておきます。
僕が証明したかったこと
僕はもともと、ごみ焼却プラントの保全エンジニアでした。
その後、同じ会社内で保全履歴管理システムの企画・開発を行い、このシステムを使った新規事業の検討を行いました。
新規事業は事情があって、日の目を見る前に止まってしまいました。止めたくなかった僕は、続きができる環境を求めて、設備保全管理システム(IBM Maximo)の導入コンサルタントになりました。
転職した会社は3年で辞めましたが、設備保全業界の経験は13年積みました。
現場経験5年、設備保全システムの導入経験8年です。
独立した5年間も、なんだかんだで設備保全に関わり続けてきました。保全と言っても、自動車整備と履歴データを活かす新規サービス開発、Maximoのデータ移行支援などです。
しかし、独立してからの5年間、サービス提供数も収入も低空飛行でした。
会社員だった頃は、収入や所属会社のブランドに対する満足感は、3年在籍した会社が十分に与えてくれました。
自分でも驚くくらい満足度が高く、日々恍惚とした気持ちでした。(むしろ、満たされすぎてしまって、少しやる気が落ちたくらいでした。)
それを捨ててでも、僕自身が何かを証明したい強い気持ちがありました。しかし、誰に何を証明し、僕はどうなりたいのか、ここ最近まで言葉にできていませんでした。
独立後、内省と人との会話を繰り返して分かったことは、自分でやると決めたことを最後までやり抜くことを体感し、僕自身に僕はやれる力があると証明したかった、ということです。
原点は幼少期
幼少期、僕は何でも途中で投げ出し、諦め、うまく行かないことは人のせいにし、怒られ、自分の願いがちっとも叶わないことに投げやりになっていました。
ですが、グレる勇気もなく、ひたすら心のなかで思っているだけで行動におこさない自分を、情けないと思うようになりました。
ただ、現実、家庭環境が裕福ではなかったので制限が多く、周りと比べてなんて理不尽なんだと思ったものです。
こんなんで腐ったら、人生何だったんだろうと後悔する景色がありありと見えました。
一度の人生、自分をイケてる男だったと自分で誇れるようになって死にたい。
そうなるには、今から挑戦するしかない。毎日挑戦するしかない。それをデフォルト(コンフォートゾーン)にするという決意をしたものです。
27歳 伊勢佐木長者町、深夜1時の悟り
一つ昔話をさせて頂きたいのですが、所属していたプラントエンジニアリング会社で、社内DXと新規事業を同時並行していたときのことです。
その進まなさや周囲の強い抵抗から、自分の無価値さ、無能さに打ちひしがれて、死を意識したことがありました。
伊勢佐木長者町の深夜1:00のカフェの2階で悟ったのは、僕が今死んでも会社も社会もなにも変わらずいつも通り進んでいく、ということでした。
DXが成功しようがしまいが、新規事業が軌道に乗ろうが乗るまいが、だれも困らないし、なるようにしかならないと感じたんです。
そう思ってから、世にはびこるありがたそうな思考やメッセージ、威厳があるように見える社長やコンサルが急にピエロに見えて、無価値のものを価値があるように演出しているエンタメだと感じるようになったんです。
そして、もとから胡散臭いと感じていたテレビCMがより胡散臭く感じ、SNSもごく一部のエンタメディレクター(社長やコンサル)に無理やり演じさせられている傀儡の嘆きに見えるようになり、垂れ流しされてくる情報に目が回るようになりました。
この気持ち悪さを回避する為に、情報を遮断するようになったと同時に悟ったのは、「自分で自分がやることを楽しみ、自信をもつことしか幸せに生きる手段はない」、ということでした。
27歳の冬だったかな。。
リアル人生ゲーム
ここからです。社会の見方が変わったのは。
というか、ただのリアル人生ゲームだと考えるようになりました。
今まで命を懸けてきたDX推進のためのシステム企画も、人生ゲームのボードになりました。
企画が通らなかった時や予算が削られた時も、友達とマリオカートを勝負して負けたのと同じ感覚のくやしさです。
子どもの時も泣いて悔しがりましたよね。大人になっても同じように泣いて悔しがりました。
ゲームがゲームとしての面白さが成り立つのは、ルールや壁、他のプレイヤーからの邪魔が入るからです。
チートを使った瞬間に、面白くないというか滑稽になります。
中学生の頃、ポケモン金銀で252匹を自力で集めたことがありました。
そのあと、ルビーかサファイアだったかな..プロアクションリプレイというチートツールを使って、簡単に図鑑をマックスにしたことがありました。
その時の僕の感じ方の差に愕然としました。心に何も残らなかったんです。虚無以外のなにもない。
その後、チートツールは一切使わなくなりました。
仕事だけではつまらないので、別のボードゲームも並行して進めてみたいと考えたとき、車の世界が思い浮かびました。(深掘りすると面白いのですが、ここでは割愛します。かつて経緯をブログに書いていた気がしますが、消してしまったかもしれません。)
その時、世界に存在する車をすべて横並びにして、僕が最も欲しい車はどれかを、文化的、技術的、維持のしやすさ、乗る満足度、車を通じて出会うだろう人たちなどの視点で考え、HONDA S2000を購入しました。
最後の最後に悩んだのがBMW E46M3でした。(今はご存じの通り、E46 M3に乗っています。)
DXや新規事業が思うように進まない時、会社を辞めるかどうかも考えましたが、やりたいこともやれて、欲しいものも買えて、恐ろしく幸せな状況にあると感じたので、辞める意味を感じなくなりました。
自己犠牲の限界
転機は28歳後半でした。
それまで、結婚・育児をしたいとは一ミリも考えていませんでした。
楽しい仕事をして好きな車を乗り回していて、風俗に通い、自分を満たし続けていましたが、突然そんな自分が滑稽に感じるタイミングがありました。
忘れもしない、出張先の小牧市のレオパレスで、一日2回マスターベーションしながら死を強く意識したことを。
人間が生きる意味は子育てにあるのでは?と頭の奥底から湧いてきてから、マッチングアプリを5個並行し、サクラにだまされたり、マッチング相手とケンカした末に、1年後に妻をみつけ結婚。半年後に長女が産まれました。
ただ、この過程で僕の中で歪みが産まれていたことに気付いていませんでした。
マッチングアプリを始めた時、9カ月くらい全くうまく行きませんでした。45万円ほどマッチングアプリに投資しましたが、箸にも棒にもかかりません。(今思えば、昔からあるお見合いサービスを使ったほうがいいと思ったくらいです。)
おそらく原因は、これまでの自分を自分で満たす思考から抜け出せずにいて、自分の欲求をみたしたいだけ、という深層心理がにじみ出ていたからだと考えました。
ですので、己を消し、妻と子にすべてを尽くす覚悟をして示す、とマインドセットを切り替えました。
そうしてからは、マッチングするようになり、その流れで妻と出会い、結婚まで進みました。
とんとん拍子でした。
今だから言えますが、この己を消す自己犠牲の精神が良くありませんでした。
みなさん、最近ワンピース1196話で、サンジがキリンガム聖とのバトルで、覇王色を覚醒しきれない理由として自己愛が足らないという弱点を、イワちゃん(エンポリオ・イワンコフ)に指摘され葛藤している場面がありましたね。
僕はあの描写を見てとても共感しました。
家族の自由を守ろうとしたときに、自己犠牲のやり方では限界があると悟っていました。
たとえば、僕が今事故で死んだとき、住宅ローンがなくなり遺族年金が入って、最低限生活できる環境が手に入ります。
ですが、それだと子どもたちがフィギュアスケートで優勝して自己証明したいとか、乗馬で勝ちたいとか、カヌーを極めたいとか、みんなが楽しめる事業を作って楽しみたいとか言ってきたとき、僕がいなかったら、子どもたちの必要とするタイミングで、取り組める機会を失ってしまいます。(本人次第の部分もあると思いますが)
それだったら、僕が健康で僕の血がたぎる事業で収益をあげ、その収益やできた時間的余裕で子どもたちに投資できたほうが、全員が幸せを感じられると考えました。そして僕自身も満足です。
さらに、このような子どもたちが、学校や習い事等を通じて他の子どもたちや先生たちに影響を与え、幸せを連鎖できると考えました。
僕とサンジの違いは、サンジは周囲から自己犠牲をやめろと言われている状況に対し、僕は周りから自己犠牲をしろよと圧をかけられているように感じていた点です。
これは、近いようで全然違う話だと思っていますが、今の自分の限界を感じていました。
僕のもがきは、この自分の限界を突破したいという欲求です。
ですが僕の問題は、僕が限界を突破できないのを、妻や子どもたちが邪魔してくるせいにしていることでした。
このマインドセットでは、僕はいつまでたっても自分の限界を突破できません。
妻(家庭の経営者)と同じ方向を向く
証明の達成基準は、僕が納得するまで、という非常に曖昧なものです。殆ど美学のようなものです。
自己実現の為に、家族を不安定に晒すのかと、常識のある方々なら口をそろえて言うでしょう。
妻も最初はそうでした。
ですが、妻と何度も会話を重ね、周囲の人たちとも生き方について会話を重ね、出した結論は「お互い悔いのない生き方をしよう」でした。
収入が低空飛行だった為、妻からは何度もアルバイトをしろだとか、収益が目標期限を大幅超過していることに、嘘つきやら詐欺だとかさんざん言われながらも、僕は僕の美学を貫かせてもらっています。
当時は共働きの収入があって成り立つ支出で生活していましたが、妻も自分の生き方をしたいと会社を辞め、生活水準を半分以下に下げました。
僕はそのことに一ミリも不満はなく、そうしたいならそうすればいいと大歓迎でした。
僕も後からその生き方を選び、文句を言われるほうが理不尽だと思っていました。
収入は激減しましたが、時間ができたおかげで、今までやりたいなと頭の中で思っていたことが全部できてしまったことの気分の良さに、感激したものです。
もちろん、貯金がどんどん減っていく不安や、自分が思ったように開発も収益も伸びないことへの苛立ちと不安を感じます。
それを含めて、自分の生きている感を感じることができ、これを幸せというのかと、初めて知りました。
「TSUNAGI」の大失敗
当初、僕が証明したいと思ってたことは、「設備保全システムをサービスとして成功させる」ことだと考えていました。
反省の言葉を述べますが、「ツール(手段)を見て、本質を見ていなかった」ことになります。
会社のブランドを失ったことで、同じ業界で競合製品を売り出せるとは考えていませんでした。
なので、自動車整備業界向けに、整備履歴サービスを成功させる方向へ進みました。
ですが、これはご存じの通り大失敗。
ノーコードツールGlideを使って、「TSUNAGI」というサービス名でリリースしましたが、5年経っても登録者約50名という惨敗です。
敗因は、つい最近までというか、今もあまり分かっていません。
表面的なことを言うならば、マーケティングを全くしていないとか、ビジネスモデル設計やUXが甘いとか、専門家には言われるでしょう。
根本は、なぜそれができなかったのか。または、必要だと分かっててもやらなかったのか。という心のストッパーにあるということです。
これを言うと、昭和の経営者たちは、気合が足りんとか覚悟が足りんとか言うでしょう。
そういう経営者に僕は問いたいのですが、なぜあなたは過去にそのような気合が入り、覚悟ができたのでしょうか?
おそらく当時は、それをやるしかガチで生きる術がなかった、とか、経済的成功者の象徴を身に纏いたい、だれかを見返したいなどの強烈な衝動があったからだと思います。
僕も大昔そのような時期もありましたが、今はまったくありません。
そして、ここで、僕は本当は何がしたいのかという話に戻ります。
流れの向きを、ほんの少しだけ変える
情報を遮断したという話にもどりますが、僕が情報に混乱していた時、Googleの当時のミッションは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」でした。
僕がGoogleに期待したのは、広告だらけで情報が埋もれて見えないサイトや、中身のない薄っぺらい商品比較サイトを蹂躙し、ディープで常人には理解されがたい技術コラムが、分かりやすく綺麗に整って必要とする人にシームレスに届く世界線でした。
ですが、今のGoogleは何か違う感じがしてなりません。
投資家から莫大な出資を得て、投資家の期待に応えるには時に考え方を曲げるしかないこともあるのは分かります。しかし、祖業を大切にし、収益度外視で磨き込むという日本的な美意識は、米国企業では身に付けられなかったかと、がっかりしました。
だからと言って、僕は指を咥えて待っているのではなく、僕ができることをやろう。というのが、僕の考えです。
とても小さいことですが、E46M3のメンテナンスやチューニングに関する技術情報を整理し、このサイトを通じて必要な人に届くようにしています。
このように、僕が過ごしてきた人生で気持ち悪さや引っかかりを感じ、どう変えれば受け手がどんな気持ちになり、どう成長していけるか、の具体的なイメージがあります。
TSUNAGI///Mでは、僕が感じてきた社会の問題を解消できる土台づくりを、E46M3という個人の手が届く題材で実証研究を続けています。
なので、TSUNAGI///Mの活動は僕の生き様そのものですし、僕が社会に変化を与えられることの種です。
僕が個人で世界を変えようとなど、そんなおこがましいことは考えていません。
TSUNAGI///Mを通じて触れてくれた人に幸せが伝搬し、またその人たちの身近な人に影響が繋がり、広がることであるときやがてドカンと変わる、そんな戦略をとっています。
小さなプラントで証明した
「小さいことからコツコツ始める」
現代では、インパクトのある大きいことに目が奪われ、多くの人がそれを目指すかもしれません。
ビル・ゲイツさんや孫さんのように、既にあるものを買い集め、組み合わせて、流通網に乗せて、いきなり大きな成功を得てしまうやり方もありますが、結局運の要素が大きく、その運をつかむ為に小さなこと(信用、交渉力、知識、考え方など)をコツコツ積み上げてきたのが本質で、短期間で大きな成功を収めることの裏側にあることだと思います。
僕の話に戻しますが、プラントエンジニアリング会社で、先輩に喝をいれられたことを今でも覚えています。
「小さいプラントでまともにメンテできねーのに、なにが大きいプラントをやらせてくださいだよ。」
当時、僕が新卒で担当したプラントが、会社で作った亜流型の特殊タイプで、標準型ではなかったんです。
取説や図面がなく、履歴も部品発注型番もなく、何も知らん新人がこれをどうすればいいんだと途方にくれていました。
運悪く、会社では「小さいプラントは仕事ができないやつがやる、大きいプラント程エースがやる」という文化があり、社内DXと保全エンジニアの両方をやっていた僕は、仕事ができないやつと周りに思われるのがものすごく嫌だったんです。(今ではつまらないプライドだったなと思います。)
なので上司に、せめて標準型のドキュメントが残ってて技術を周りの人が習熟しているプラントをやらせてほしい、というつもりで言ったのですが、変に自信過剰でプライドが高い意識が、僕の発言や相手の捉え方をゆがめてしまったのだと思います。
なので、僕は周りからの見られ方をぐっとこらえ、小さなプラントで、もっとも大きいプラントの利益率を上回る成果を出しました。
ドキュメントを完全に整え、次の人が同じように利益を出せる仕組みを整えました。
そして、その後担当したプラントでも同じ仕組みを再現し、会社に貢献しました。
社内で僕の評価は一切聞こえませんでしたが、お客様や協力会社さんから、「担当変わってほしくない」や「一気にNo.1になりましたね」という評価を頂きました。
あるとき、たまたま営業事業部長の席の近くで他の人と話をしていたとき、その事業部長がPCの画面を見ながら「このプラントだけ利益率えげつねーな。誰が担当してるんだ。」という独り言が耳に入ってきました。
それを聞いて、僕は自己満に浸りました。
E46 M3 を「プラント」に見立てる
そして僕は今、この時に構築した仕組みと、その先に構築したかった仕組みをTSUNAGI///Mとして、E46M3を「プラント」と見立て、構築しています。
僕だけではなく、40年以上、保全現場の先輩方が夢見ていた仕組みです。
上の図は、E46M3で表しましたが、同じ図をプラントで表してみたらどうでしょうか?
簡単に実現できる印象を受けませんか?
もちろん、こまかい要素技術や法的条件、性能など、規模が大きくなればそれだけ考慮しなければならないことは増えます。
ですが、「仕組み」は回って成果が出るという事実は不変なので、それに向かって細かいことを詰めていけばいいだけなのです。
もちろんその要素を詰めていく作業が、一人ではできないので大変ではあるのですが、このような話を社内関係者にすると、「できない理由」を必死に並べてくる方が必ずいらっしゃいます。
おそらくそれはご自身の立場が危うくなる危機感からきているものです。
そのような方たちは、おそらく尖るなにかしらのモノをお持ちだと思いますので、一度「充電」してもらい、自発的に行動を起こしてもらえるまで、時間を提供できるといいかもしれません。

仕組みを入れた後のビジネスモデル
そして、この仕組みを導入した企業はどうなるでしょう?
人がいらなくなるように見えますか?
20人~30人で運営していたプラント操業が、10~15人で回せるようになるかもしれません。
経営者は、経費が浮いて利益率があげられると思うかもしれません。
その発想で、本当にいいのでしょうか?
現場の人たちは、このような仕組みを入れたら人が減り、自分が解雇される恐怖を容易に想像できます。
なので、導入に非協力的になり、拒みます。
今までの経営者は、これを仕方ない、アイデアが無い、で止めてしまっていたのではないでしょうか。
発想を変えませんか?
解雇しない、給与も下げない(むしろ少し上げる)、仕事が終わって時間が余るなら、その時間を好きに使っていいことにしませんか?
そうすると、どうなると思いますか?
人は暇に耐えられないので、何か仕事を作り出そうとします。
家庭がある人は、家に帰って家の仕事をするかもしれません。
家に居場所がない人は、職場に残ってやってみたかったことをコツコツ始めるかもしれません。
このコツコツと始めたことが、新たな事業の芽になりませんか?
個人の事情で家に帰れることが、社会的にクリーンなイメージを伝え、企業価値が上がりませんか?
必要だと思っていた整備は、実は現場の責任を逃れる為に過剰になっていたものや、整備手順が曖昧であるがゆえに外注費で安全費用を見られ、高くなっていたのかもしれません。
その費用を下げれば、人を減らさなくても整備費は大きくさげられるはずです。
整備費を下げたからといって、プラントが生み出すものの価格をすぐに下げる必要がありますか?
今の価格で、お客様は価値を感じて買ってくださっているのに、価格を下げると、今までなんだったんだと逆に満足度を下げてしまいます。
協力会社さんは、売上は少し下がるかもしれません。ですが作業が明確なことで経費コントロールがしやすく、利益を出しやすくなります。
よって、余裕を作ることはWinWinなのです。
さらに、余裕が出た分を、損をしないようにと、必要のない仕事を詰め込んでいませんか?
僕はこれを貧乏性と呼んでいますが、経営者の貧乏性のせいで作業を詰めすぎると、人の心の余裕も潰しミスも増え、そのカバーでお金も時間もかえって増えてしまうものです。
ここまで述べたことは、僕がプラントメンテナンスで実際に研究し実証して、複数のプラントで同じ仕組みを再現できたことです。
TSUNAGI///Methodology
この仕組みを再現可能にし、さらに利益を生むポテンシャルを、テクノロジーで上乗せしたのがTSUNAGI///Methodologyです。
言っていることは、製造業のAI、IoT活用の講演やコンサル提案でも良く見るものです。
ですが、実際に実現した事例はあまり聞いたことがありません。
なので僕は、これを実現できるものであると、より多くの皆さんに分かりやすく証明する為に、こうしてE46M3を題材に開発をしてきました。
それこそ過去に僕が先輩に言われた、「小さいプラントでまともに実現できねーのに、なにが大きいプラントで実現するだよ。」です。
E46M3では仕組みを殆ど実現できました。
プラントでも既に要素は実現できています。
この仕組みを眠らせておくのはもったいないです。
でも僕は、次はごみから燃料を作る事業にも挑戦したいです。
両立する方法を考えた結果、この仕組みをみなさんにお伝えし、自律的に運用できるようにエージェントSkillおよびアドバイザリーとしてパッケージングしてお渡しできるようにしました。
それがMESHの中のMainstayです。



